鴫凪真姫は普通の女子高生だった。特別可愛い顔をしているわけではなかったが、明るくさばけた性格と人当たりの良さもあり、クラスの輪には馴染んでいたし、友達はそれなりにいた。帰り道にアイスやクレープの買い食いをしたり、休日にでかけたり、喧嘩と仲直りを繰り返したり、人並みの恋愛経験も積んだりして三年間をすごした。大の苦手だった数学と理科を捨て、国語と英語と少しだけ得意な日本史を使ってなんとか手に入れた私立大学の合格を持って迎えた卒業式では、友達と別れを惜しんで涙を流す。そんな、普通の女子高生だった。
 しかし、そんな彼女の普通は、ある日終わった。
女子高生は終えたものの未だ女子大生未満という宙ぶらりんな身分のまま、新生活の準備やお別れ会などで忙しくしながら、期待と不安を膨らませていた3月の中旬。郊外の横断歩道の真ん中で真姫の視界には真っ赤な塊が飛び込んできた。
目の前に迫る真っ赤な塊。それの意味を認識した瞬間、真姫の体は全く動かなくなる。というか、本当は動くような暇はなかったのだ。だけど、彼女にとってその時間は驚くほど長く感じられた。自分が信号を無視したのだったか、それとも向こうが無視しているのか、そんなことを少しだけ考えてから、どちらにしてもくやしいと思った。大学生になりたかった。やりたいことが、たくさんあった。なにもかにもやり足らない。勉強も、遊びも、サークルも、一人暮らしも、何もしていない。だから、くやしかった。
そして、ついに真っ赤な塊が彼女にぶつかるその時、衝撃も、痛みも、真姫は感じることがなかった。真っ赤な塊がぶつかる前に、真っ白な風に吹かれたのだ。その風は景色を飲み込むように迫ってきて、あっという間に赤を追い越すと棒立ちの真姫に正面からぶつかった。文字通り突き飛ばすような突風に彼女はとっさに顔を両手で守り、必死で地面を踏みしめた。しかし、彼女の力は及ばず猛烈な風の前にあっさり足は地面から離れてしまう。支えを失った真姫の身体が後ろに傾いていくと、ほぼ同時に風もピタリと止んだ。
「いてて……」
 アスファルトの地面に尻餅をつくと思って多少覚悟していたが、こけた地面は思いのほかやわらかい。材質のわからない、カーペットのような柔らかさがある割に表面はツルツルしている真っ白な地面。それが、地平線まで360度ずーっと続いている。
「なにこれ? 天国?」
 白い地面と少し青みがある空との境界の曖昧なこの世界は真姫の中でそのイメージとぴったり重なった。ということは、私はやっぱりアレで死んだのだろう。実感も確証もないが、そういう結論にどうしても行きついてしまう。残念だし、やっぱり悔しい。だから、出来れば信じたくない。でも、もし、万が一、億が一、もう死んでいたとするのなら……。
「す、少なくとも、天国に来られたみたいじゃない。天国に行けるだけの人生だったのよ。ふ、不幸中の幸いってやつだわ」
 そうだ、くよくよしてもしょうがない。真姫は立ち上がり、音を立ててスカートを叩き、付いているかどうかもわからない土をはらった。
「ボジティブシンキングよ。つーか、まだ私が死んだって決まったわけじゃないっての。今にでもまた風が吹いて、目を開けると病院のベッドで……なんてオチが着くに決まってるわ!」
 身体を起こす勢いで、真姫は思い切り伸びをする。しかし、不安を完全に拭ったりはできないどころか、新たな心配事まで生まれてしまった。
「ってか、ここって天国よね?」
「残念ながら違うんだが、これが」
「え!? 地獄? 私なんか悪いことした?」
「地獄でもないよ」
「よかったぁ。じゃあ、どこよ? バルハラ?」
「面白いことをいうね。君は戦士だった覚えでもあるのかい?」
「そうね。そんなことない……って、あんた誰よ!?」
 後ろから突然聞こえて来た声に振り向くとベンチに座った男がいた。公園にあるような木製の大体三人がけのベンチの真ん中に座っていたのは、薄緑でモシャモシャの髪の毛をした優男で青白い肌に薄ら笑いを浮かべていた。
「僕の名前はジグムント。そうだな、なんて言ったらわかるかな? 君を救いに来た天使、かな?」
 天使だと名乗った男は、確かに白いローブで体を包んで頭の上に輪っかを浮かべていた。
「意味わかんないわ。私を救う? 何から? どうやって?」
「質問が多いよ、真姫ちゃん。一つずつ答えていこう」
 そういって、ジグムントとかいう男は指を一本立てた。ちゃん付けは多少不愉快だが、いちいち突っかかっているより、話を聞いた方がよさそうだ。
「まず、君は死んだ。でも、君はその自覚が薄い。そして、君は、大きな未練を残して死んだ。これはね、あることの条件を完璧に満たしてるんだ」
「何よ?」
「簡単に言うと、幽霊になることさ。だけど、何もわからない一人ぼっちの状況で、未練は妬みに変わり恨みにすらなるだろう。そして、強くなりすぎた負のエネルギーに押し潰されると、君は人を襲う悪霊になってしまう。そんなの嫌だろう?」
 真姫は小さくうなずいた。未練はあるけど、恨みなんかとは程遠い感情だ。だから、にわかには信じられない。だけど、もし本当だとして、怒りに任せて暴れまわるような存在になるのを想像すると、それはとても嫌だ。
「だろう? だから、僕たちは救済として、エネルギーを昇華する場を提供している」
 ジグムントは立ち上がり、得意げな顔をして真姫をぴしゃりと指さして言う。
「鷸凪真姫、君は今日から魔法少女だ!!」
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。